
ある女性の方ですが、その結婚生活はあまり恵まれたものではありませんでした。夫との心理的な葛藤や不調和な生活で結婚生活も限界に来ていました。そのため夫が癌に侵され余命いくばくもない状態になっても夫を慈しむ気にはなれないようでした。
そして夫は寂しく死んでいったのです。 お葬式で夫の遺体が出棺するとき、突然「あなた!ごめんなさい!ごめんなさい!」とその場でその女性は号泣したのです。 この心がその女性の真の心です。夫に対する真の愛です。 愛には二層の構造があることを
私たちは理解する必要があります。日常の生活においては、それぞれの立場や考え方の相違などから感情的なもつれを起し、その感情こそすべてであり、相手への愛の姿と思い込んでしまいます。が、それは意識する心の部分に過ぎません。その人の表の心に現われた
愛の姿なのです。 人にはさらに隠された奥の心があります。魂の触れ合う心とでもいうべき、現われの世界に条件づけされない本来の心の場です。 結婚をする人との出会いはこの本来の心の導きによるものだと言われています。この奥の心では、相手が「こうこうだから好き」であるとか
「こうであったらもっと愛せるのに」といった条件はつきません。その人そのままを愛しているのです。 人はさまざまな人間関係の中で生きていますから、結婚相手もそれと同じような人間関係の目でとらえてしまい勝ちです。
人は悲しいことにこの奥の真の愛には滅多に気づくことはありません。その愛に気づくのは、その人と出会い、愛を感じるときと死という別れを予感する時くらいかも知れません。 結婚生活に深い悦びをもたらすためには、この愛の二層構造を常に意識しておくことがとても大切なように思われます。
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衝動的に浮気をする人間の一つの側面を考えてみます。これには相手から逃げ出したい心の思いについて考えてみる必要があります。 二人の関係がどんなに親密で、愛しあっていても私たちの心は本質的に他の異性への憧れを内に秘めています。
その感情を二人にとって”良くないもの”として受け止め、打ち消そうとしてもどうしてもつきまとってきます。 私たちは、相手のしぐさや言葉の端などにその心を感じとった時に嫉妬の心を起こします。相手を自分だけのものにしておきたいという執着の思いと、
自分にもあるやっかいな感情でもあるからです。 この時相手を自分に縛りつけておきたい束縛の心が起こります。人は本来自由でいたいのです。束縛はとても窮屈で、最も嫌います。こうした思いが日常的に繰り返されると、自由になりたい衝動がわいてくるのも無理からぬところなのです。
相手から自由になりたい、言い換えると「逃げ出したい」という思いが、時に衝動的な浮気へかりたてると考えられます。(ここで述べているのは、欲情的な衝動にかられる浮気とは違います。) 私たちは、結婚における男女の関係を、狭い愛情の部分にとらわれないで、広い愛の世界へ心を開いていく過程としてとらえていくことが必要のように思われます。
結婚生活のなかで生じてくる他の異性への憧れや、相手(妻や夫)から逃れて時には一人でいたいといった感情を悪しきものとして抑圧しないで、誰にでも当然起こる感情であるとして、その感情に居場所を与えてやる必要があります。 心の本性は抑えればやっかいな野生になります。あるカップルは
「こうした感情にも居場所を作ってやる必要がある。しかし、それと実際に行動に移すこととは別だ」ということを認め合って、自分をコントロールする力を身につけています。 人間はまことに崇高です。本性の野性的な感情をどう取り扱っていくか、そこに人生の価値があります。
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結婚生活をしていながら、淋しく孤独感におそわれることはありませんか。そうした結婚には愛が欠けているのです。 結婚を経済的な便宜と肉体的な快楽の方便にしかすぎないというような浅いとらえ方をしていますと、夫婦生活が表面的なものになり、孤独におちいります。夫婦は肉体を超えた心的な存在であるととらえた時に、結婚生活が深い意義と味わいをもってきます。
孤独感や淋しさを感じるのは真に愛し合っていないからなのです。二人が一体感を持っていますと、相手が常に心に入り込んでいますから満たされています。 幼児でも充分に抱かれ愛されている子は、親から離れて平気で遊びますが、充分愛されていない子はなかなか親の側を離れません。 「もっとこうして欲しい」「あの人がこうだったらいいのに」といった相手に求める愛は利己的な愛ですから
まだニセモノの愛なのです。相手に与え、尽くす無我の心持ちになった時、相手との一体感が生まれ、孤独感を救う唯一つのものになります。親はわが子に何の代償も求めないで愛していますから、わが子とは一体感があるのです。 性愛だけを夫婦の満足の大部分だととらえていますと、結婚生活の悦びは出てきません。二人の心が深く交流し、相手の女性性なり男性性が自分の心に入ってきて、
一人では得られない心的充実をしてこそ結婚の意義があり、味わいがあります。
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結婚生活で特に注意しなければならないのは、相手に寄りかかり過ぎないことです。私たちは、相手と一緒にいたいと思う反面、自由に一人でいたいと思う時もあるのです。どちらをより求めるかは、大きく個人差があります。それは幼児期の親との関わり方によって違ってきます。
人にはこの二つの心が矛盾をはらんで存在していることを、よく理解しておく必要があります。自分はいつも一緒にいたいのに、彼(彼女)はなぜか避けているようだと感じたりすると、「本当は私を愛していないのじゃないだろうか」と悩み、沈み込んだりします。さらには相手の愛を求めるあまりに、
いつもべったりつきまとったりします。これは危険で逆効果を生むおそれがあります。 幼いときから母親などにべったりと取り込まれる中で育った人は、反射的に一人の居場所を求めています。こういう人は寄りかかられる恐怖から逃げ出したくなり、家庭以外に居場所を求めるようにもなりかねません。
本質的に人は束縛を最も嫌います。ですから例え夫婦といえども一人でいる場所が必要なのです。物理的な場所のことではありません。心の場所です。 そばに愛する人がいて、一人の世界に在ることは貴重なことなのです。 この二つの居場所をお互いに認めることが健康的な結婚生活と言えます。
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私が今まで恋した女性は、いずれも気の強いタイプの人でした。女房も気の強い女性です。何げなく「そういうタイプの女性が私の好みなのかな」と思っていましたが、これは私の内にある本質的な欲求が、そういうタイプの女性に魅力を感じているんだということに気がつきました。 私の本来の性格はおとなしくて気の弱い面があり、
幼い頃からそれが男性としての私のコンプレックスの部分だったのです。 男と女の結びつきには、似た者同士でありながら、互いに自分に欠けている面を持っている人とパートナーになるような働きがあるように思えます。 つまり 男女は「補完の原理(お互いに補い合う働き)」で結びついているということになります。
これは非常に大切なことなのです。これによってパートナーとの一体感と力強さが生まれます。 時としてこうした違いが、相手の欠点と映りいさかいの元になったりしますが、 お互いに責め合っている原因の奥に横たわっているのは、実は自分の中の問題であることに気がつきます。 そして二人の間に起きたトラブルを幾たびか体験し、解決していくなかで、
二人の絆はいっそう強まり、人格も進歩し成長していきます。 お互いに異なった性格のため、どうも性格が合わないというように見えても、自分とは違う立場からの考えや意見を述べてくれますから、相補ってより完全な判断ができます。また共に長く生活をしているうちに、やがて自分の欠けている部分に相手のパワーが入ってきて、少しづつ自分が変わっていきます。
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結婚生活を生涯を通して平穏であったという人はごく稀でしょう。またそうした平穏だけの結婚生活からは、逆に深い愛の実感や悦びを感じるということも少ないでしょう。多くの人の結婚生活は多難と混乱を伴い、苦悩と波乱の中を生きることになります。はたから見ると仲の良い幸せそうなカップルであっても、人知れずの葛藤があるものです。 夫婦ですから根底に愛がある限り、さまざまな葛藤
を乗り切りそれなりに充実した生活を創っていきますが、なかには夫婦不調和に苦悩し、どうにもならない破局を迎えるカップルもいます。 夫婦における愛は、意識の深くから生じてくるものなのですが、実際の生活では、相手への好き嫌いの感情や善悪で感じたものなど、五感で感じた部分を愛だと意識しています。
これが普通の愛であり、惰性の愛なのです。 ある例なのですが、夫の偏屈な態度で夫婦関係はいつも不調和でした。ある時、夫が妻のふとんを庭に放り出し「出て行け」と怒鳴ったそうです。その夜一晩中、庭でふとんにくるまり眠れない夜を過ごしていたら、いろいろな今までの結婚生活が頭をめぐったそうです。ふと、会社における夫の苦しい立場が思い出され「あぁ、夫は苦しかったんだ」、と今まで自分の
辛さしか考えていなかった自分を反省したそうです。それを境に夫を観る眼が変わり、そして次第に夫が変わり夫婦生活が調和してきたそうです。 結婚生活においては、いつか五感の眼を越えた、心の眼でお互いの隠れた心の痛みや特質や美点を認め合う時が訪れます。これが「意識的な愛」であり「目覚めの愛」です。不調和な結婚生活や、破局を解決し調和に満たされた夫婦関係を創るには、「普通の愛」もしくは「惰性の愛」ではとても難しいのです。
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恋愛をして結婚をしてある期間が過ぎますと、相手の欠点や欠陥が見えてきて、「なんだかこの人は私の理想の人とは違っていたな」という思いに至る場合がほとんどです。そして過去に出会った人や、他の素敵な人を思い浮かべ、「あんな人と一緒になっていたら、もっと素敵な結婚生活だろうに」などと思ったりもします。 確かに理想的な素敵な人とレストランで食事をし、会話をすれば楽しく満たされたひと時を持つでしょう。しかし、結婚生活とはそういうものではありません。
ひとりの男とひとりの女が自分を隠しようもなく、むきだしに関わり合っていく場が結婚です。 一般的には妻は女性らしい、穏やかで優しく受容性のある人が理想なのですが、夫となる人にとっては、そういう女性がベストとは言い切れないのです。夫の性格がおとなしく、自分を強く押し出せないタイプ
の場合ですと、夫婦そろって弱さが勝り、カップルとしては良くないのです。そういう場合、人は無意識的に気の強い女性を選んでいます。 それに人は、生まれ成長して今に至るまでに心の中にさまざまな傷やコンプレックスといった独自の問題点をかかえていて、それらがその人の心の波長となって、その波長に同調する相手を選んでいるのです。 結婚とは、お互いに影響しあって、補い合い、二人で一体となる関係で結ばれています。理想の人と一緒になると幸せになるというものではありません。
自分の心のなかに抱えている傷やコンプレックスなどが無意識的に働き、パートナーと衝突を起こします。そうして起きたトラブルを二人で葛藤しながら解決へと努力することで二人は成長し、さらに愛を深く出していきます。 問題なのは、相手の欠陥や欠点あるいは心の傷がもとでの不調和を「私は正しい、間違っているのはあなた」という態度や、問題に関わろうとしないで避けてしまうことです。 愛は修羅のごとく成長していくものでもあるのです。
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多くの人は血のつながりこそ一番強い結びつきだという思いを持っています。夫婦は血がつながっていないから結びつきと言う点からは家族に劣るという考えです。この考えは間違いです。 確かに父母兄弟あるいはわが子との絆には強いものがあります。しかしその強さは血がつながっているからだけで強いのではありません。もし血がつながっているほうに強い絆があるのであれば、夫や妻より叔母さんや叔父さん、あるいは従兄弟たちにより強い結びを感じるはずです。 人と人を結ぶ強い絆は愛です。家族に強い絆を感じるのは、その根底に愛があるからなのです。夫婦が相手にどれだけ強い絆を感じるかどうかはその愛の深さ、強さによります。そして結婚生活を通してさまざまな苦難や葛藤、悦びを共にし、その絆を深めていきます。 血のつながりこそ絆だと思う人は、実は愛の体験の乏しい人と言えます。愛を充分に与えた人が愛の強さを感じることができるのです。 夫婦の絆は結婚生活によって出来るものだけではありません。結婚するほどの男と女の間には、良きにつけ悪しきにつけ結婚する前から既に絆で結ばれていると言われています。昔から「夫婦は二世」と言われているのは、夫婦の絆の強さを表わしているのです。赤い糸で結ばれた結婚、人間関係でこれほど強い絆はないのです。
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ある女性なのですが、その人は三十代半ばでとても魅力的な人です。でも結婚をし一児の母なのですが、どことなく家庭的な落ち着いた雰囲気が感じられないのです。独身の華やいだ雰囲気がいつも漂っています。こうした魅力は本物の美しさを創り出しません。心が家庭のことよりも外の方へ向いているからです。女性が家庭を持てば妻として母としての落ち着きと魅力が求められます。 もちろんこうした家庭人としての魅力は男性にも求められます。子供は父や母を男性として女性としてのモデルとして見ています。父や母から男性女性を学んでいるのです。心が深く関わった人でないと、人としての影響を受け入れられないのです。子供の心にゆるぎない父、母のモデルが育まれていかないと、成長し結婚生活に入っても不確かな夫、妻、父、母の姿しか現せません。 先の女性は子どもの頃父母が離婚をし、精神的に不安定は祖母に育てられた結果、確固とした妻、母、夫、父のモデルを見出すことが出来なかったのです。 こうした人に必要なのはモデルとなる男性なり女性なりの存在です。ここに人づき合いの大切さと意義があります。モデルとなる人との心の交流から、自分に欠けている女性性、あるいは男性性を学び受け入れていくことで成長していきます。 家庭を持てば自分ひとりの生き方ではすみません。ゆるぎない夫、妻、父、母を生きていくことが人としての魅力であり、役割です。
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江戸時代に黒住宗忠公という人が「立ち向かう人の姿は鏡なり、己が心を移してやみん。」ということを言っています。この言葉を最も実感できるのが夫婦間ではないかと思います。夫婦の間ではお互いの心深くの問題を相互に強く投影し合っているからです。人は皆、心の波長を絡ませながら関わり合っているのですが、夫婦や恋人、親子といった濃密な間ではその絡みが共感やいさかいの形で強く現われます。。 結婚生活においては、異なる生活の場を経た者同士が共に生活をしますので、異なる心の波長がいろいろな形で絡み合ってきます。ところが結婚をする間柄は「類は類を呼ぶ」という法則で引き寄せられていますので、異なる心の波長でありながら、同じ類型の波長同士でもあるのです。ここに結婚生活の楽しさと難しさ、夫婦の共感といさかいが他の人間関係と違って独特に現われてきます。 結婚生活を意義ある深い洞察でとらえる素晴しい方法があります。それはミラーリングと言う方法です。夫婦の間では、起こったあらゆることを、黒住宗忠公が言ったように、自分自身の中の心を映し出す鏡(ミラー)として見てみるのです。自分で自分の深層心理はなかなかわからないものなのです。パートナーのある部分が非常に嫌で気になるのは、隠された自分の問題であったりします。例えば、パートナーがいつも自分にべったり寄りかかってくるのが嫌でしようがない人は、そんなパートナーの性格が嫌だと思っていますが、その本質は自分が幼い頃、親に支配されべったりまとわりつかれた不快感の問題であったりします。 夫婦のお互いの問題は、自分ひとりではよくわからない自分のある問題を写し合います。このようにミラーリングというやり方で夫婦の間に起きるいさかいを深く洞察していきますと、お互いへの理解は深まり、心の傷が洗われ、意識がいっそう高められていきます。 二人の間に何か問題が起こった時、「これは私の中の何を映しているのだろうか、私に何を気づかせようとしているのだろうか」というように考えることが、ふたりを完成された結婚へと導いていきます。
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